第5亜砒酸混入の機会
1 7月25日のカレー鍋の周辺の状況
7月25日のカレー鍋周辺の状況は,前記第1ないし第4で検討したとおりであるが,その状況を整理すると,次のとおりとなる。
(1) 午前中の調理状況
午前8時半ころから,ガレージでカレーやおでんの調理が始まったが,カレーやおでんが煮込み状熊になるまでの時点では,野菜刻みの時間帯を中心に多くの主婦がガレージ内におり,その後カレーやおでんが煮込み状態になってからも,静岡,目黒,高知,滋賀らは,ほとんどの時間ガレージ付近にいたし,奈良,群馬もガレージにいたことも多かった。
(2) 午後零時前から午後1時過ぎころまで
午後零時前ころ,ガレージには,静岡,目黒,高知,滋賀,奈良がおり,そこに群馬がやってきた。
群馬が来て間もなく,被告人がガレージにやってきた。被告人と群馬が,鍋の火や氷の件についてやり取りした後,被告人は,氷を作っているかどろか1班の各家庭に確認するためガレージを出て行った。この間に,高知と滋賀はガレージを出て行っている。
その後,奈良,静岡,目黒がガレージから帰り,ガレージには群馬が1人いる状熊となった。
群馬が1人で鍋の見張りをしていると,被告人がやってきて,午後零時20分ころ,群馬は被告人と鍋の見張り当番を交代した。
被告人は,午後1時ころ,鍋の見張り当番に来た高知と交代した。
(3) 午後1時以降カレー鍋が夏祭り会場に運ばれるまで
午後1時ころ被告人と見張りを交代した高知は,一緒に見張りをする予定になっていた滋賀が来るまでのわずかな時間,1人で鍋の見張りをした。少し遅れてきた滋賀は,高知が草を刈る鎌の件で自宅に帰り再びガレージに戻って来るまでの4,5分程度の時間,ガレージで1人で鍋の見張りをしていた。その後,ガレージから夏祭り会場に鍋が運ばれるまでの間は,高知,滋賀,静岡,島根,群馬等複数の住民が絶えずカレー鍋周辺にいて,カレー鍋の見張りをしていた。
(4) カレー鍋が夏祭り会場に運ばれてから夏祭りが始まるまで
カレー鍋等が夏祭り会場に運ばれてから午後4時ころまでの時間帯については,東側テント内やその周辺には,少なくとも高知,滋賀,静岡,奈良副会長らがおり,他にも準備に参加していた住民が出入りしていた。
午後4時ころから午後5時ころまでの時間帯については,東側テント内やその周辺には,目黒,熊本,五反田,佐賀らがおり,他にも準備に参加していた住民がテント内に出入りしていた。
午後5時には,カレー鍋が再点火され,複数の住民が鍋をかき混ぜていた状態であり,午後5時半ころには夏祭り会場に子供たちも集まって来ていた。
2 亜砒酸混入の機会
以上の状況を踏まえ,東カレー鍋に亜砒酸を混入することができた機会を検討する。
(1) 午前中の可能性
午前中の段階では,前記1(1)のとおり,ガレージ内のカレー鍋の付近には絶えず複数の人がおり,この間,亜砒酸様の粉末をカレー鍋に混入するような状況は一切目撃されておらず,また,ガレージ周辺で不審者が見かけられたこともなく,さらに,午前中東鍋カレーの味見をしたが,夏祭りが始まってからはカレーを食べていない目黒,静岡には,何ら体調の変化が認められなかったことから考えて,東カレー鍋に亜砒酸が混入されたことはないと認めることができる。
したがって,亜砒酸が東カレー鍋に混入されたのは,東カレー鍋にアルミホイルで蓋がされ,その上に段ボールが置かれた後となる。
(2) 午後零時ころからカレー鍋が夏祭り会場に運ばれるまでの可能性
その後の状況を検討するに,証拠上,ガレージ内の東カレー鍋付近に複数の住民がいて見張りをしている際に亜砒酸が混入されたことはないと認められるので,亜砒酸が混入され得る機会としては,群馬,被告人,高知,滋賀がそれぞれガレージに1人でいた時間帯となる。そこで,それぞれについて,以下検討する。
ア 群馬が1人で見張りをしていた時間帯に混入された可能性
群馬は,静岡,目黒がガレージから帰った後,被告人が午後零時20分ころに来るまでの時間,ガレージで1人で見張りをしており,その間に群馬がガレージを留守にしたことはない。
しかし,この群馬が1人で見張りをしていた時間は5分程度であり,いつ被告人が帰って来るか分からない状況であったこと,群馬やその夫,息子は,夏祭りで提供されたカレーを食べ,被害に遭っていることを考えると,群馬が東カレー鍋に亜砒酸を混入したとは考えにくい。
イ 被告人1人が見張りを担当していた時間帯に混入された可能性
被告人が午後零時20分ころ群馬と鍋の見張りを交代し,午後1時ころに高知と交代するまでの約40分間は,住民としては被告人のみが見張りの担当であった(なお,後記3(1)のとおり,この時間帯に被告人がガレージを留守にしたことがある。)。
そして,被告人やその家族は,夏祭りで提供されたカレーを食べていないことや,東カレー鍋に混入された亜砒酸は,被告人の兄弟若しくは知人方で保管されていた亜砒酸である蓋然性が高いことからすれば,前記群馬や後記高知及び滋賀の場合と同様に考えることはできない。
したがって,被告人が見張りの担当をしていた午後零時20分ころから午後1時ころまでの時間帯に亜砒酸が東カレー鍋に混入された可能性は認められる。
ウ 高知が1人で見張りをしていた時間帯に混入された可能性
高知は,午後1時ころに被告人と鍋の見張り当番を交代し,少し遅れて来た滋賀に鍋の見張りを任すまでの時間,ガレージで1人で見張りをしており,この間に高知がガレージを留守にしたことはない。
しかし,その時間は,一緒に見張りをする予定であった滋賀が少し遅れて来るまでのわずかな時間であり,いつ滋賀が来てもおかしくない状況であったこと,また,高知は,自らカレーを自分や家族に取り分け被害に遭っていることを考えると,高知が東カレー鍋に亜砒酸を混入したとは考えにくい。
エ 滋賀が1人で見張りをしていた時間帯に混入された可能性
滋賀は,高知に見張りを任され,高知が自宅からガレージに戻ってくるまでの時間,ガレージで1人で見張りをしており,この間に滋賀がガレージを留守にしたことはない。
しかし,その時間は,高知が一度自宅に帰り戻ってくるまでの4,5分程度の時間であるが,いつ高知が来てもおかしくない状況であったこと,また,滋賀は,自らカレーを取り分けて食し,被害に遭っていることを考えると,滋賀が東カレー鍋に亜砒酸を混入したとは考えにくい。
(3) カレー鍋が夏祭り会場に運ばれてから
カレー鍋等が夏祭り会場に運ばれてからの時間帯については,ガレージ内で住民がカレー鍋を見張っていた時間帯に比べれば,人がいる範囲も広がり,人の出入りも多いため,カレー鍋付近にいつ誰がいたか,カレー鍋付近に誰もいなくなった時間帯はないのか,カレー鍋付近に1人だけいた時間帯はないのか等を詳しく確定することは困難である。
しかし,①前記認定のとおり,ほとんどの時間帯についてカレー鍋付近に複数の住民がいたことは認められるし,また,そのような住民のうち,法廷において証言した者は,当時周辺で不審な人物を目撃していないこと,②夏祭りの準備中という絶えず人がテント内外におり,どこから見られているか分からない状況で,しかも人の出入りがあるなか,夏祭り会場中央付近にある東テント内のカレー鍋付近まで亜砒酸を持ち込み,アルミホイルの蓋を取って亜砒酸を混入するという行為は,現実的には非常に他人の目に付きやすい,犯人にとって極めて危険な行為といえること,③仮にそのような不審な人物が見かけられていれば,本件のような重大事件であれば,必ず捜査機関に情報が提供され,捜査されているはずであるから,本件における証拠上,そのような不審人物がいたことをうかがわせるようなものが全くないということは,夏祭り会場のテント周辺に不審な行動をする人物を見かけた人がいなかったと考えてよいこと,④第2章第5の2のとおり,東カレー鍋には本件青色紙コップから亜砒酸が混入された蓋然性が高いところ,その本件青色紙コップは,ゴミ袋エの中の野菜在中××袋の中に,午前中の野菜の下処理の際に出た野菜くず等と一緒に入っていたもので,また,そのゴミ袋エは,当初,ガレージ出入口付近か前庭室外機付近にあったが,カレー鍋等がガレージから夏祭り会場に運ばれた際に,静岡が夏祭り会場北東端の千葉方塀付近に移したが,その際,静岡は,ゴミ袋の両端を持ってしばる形で口を締めている(静岡証言)から,ゴミ袋エに本件青色紙コップが入れられたのは,カレー鍋が夏祭り会場に運ばれる前である蓋然性が高いことが認められるから,これらを総合すれば,夏祭り会場でのカレー鍋周辺の細かな人の動きまでは確定できないものの,夏祭り会場にカレー鍋が運ばれた後に,自治会住民以外の不審人物が亜砒酸を混入した可能性はないに等しいということができ,また,自治会住民が混入した可能性もほとんどないと認められる。
3 被告人1人が見張りを担当していた時間帯の状況
(1) 犯行の機会の有無
以上の検討によれば,亜砒酸は,被告人が見張りの担当をしていた午後零時20分ころから午後1時ころまでの間に,東カレー鍋に混入された蓋然性が極めて高いといえる。
そこで,この約40分間のガレージ内の状況について検討するに,その状況は,被告人が1人でいるところを岡山m子や代々木c子が目撃している他は,被告人が黙秘していることもあって不明である。
ところで,被告人がガレージで群馬と鍋の見張りを交代したときの状況について,群馬は,「被告人は,ガレージに来てから,来ていたTシャツの肩の付近や袖の襟を引っ張って,顔や首の汗をぬぐっており,タオルは持ってなかった」と証言しており,その証言は具体的で自然なものであり信用性が高い。また,m子も,「1階リビングから被告人の姿を見たときは,被告人がタオルを持っていなかったと思う」と証言している。これによれば,午後零時20分ころ群馬と見張りを交代していたときには,被告人はタオルを持っていなかったと認められる。
ところが,被告人がその後1人で鍋の見張りをしていたときの状況に関し,m子は,「被告人は,首に掛けたタオルで顔や首の汗をぬぐったり,口元に当てていた」と証言するが,この証言は,具体的かつ自然な内容で信用性の高いものである。してみると,被告人は,鍋を1人で見ていた時間帯には,タオルを首に掛けていたこととなる。
以上のような事実関係を踏まえると,首に掛けて汗をふけるようなサイズのタオルを持っていたのに,それを使わずに着ていたTシャツで汗をふく合理的理中はないから,被告人は,午後零時20分ころから午後1時ころまでの間に,少なくとも一度ガレージを留守にしてタオルを持ってきたと認められる。
以上を総合すると,この午後零時20分ころから午後1時ころまでの間は,被告人が1人で見張りをしている時間帯,被告人が秋子と一緒に見張りをしている時間帯及び被告人がガレージを留守にし誰もいなくなった時間帯があったこととなる。
してみると,被告人は,午後零時20分ころから午後1時ころまでの間の1人で見張りをしている時間帯に,東カレー鍋に亜砒酸を混入することが十分に可能であったといえる。